07/03/19 ●「蝋燭(ろうそく)の灯の如く」
 筑紫野市市議会議員選挙出馬への
 決意表明とご支援のお願い

一から出直します。筑紫野市民の皆様に尽くさせて頂く場を再度与えてください。
「次、負けたらあとはないよ。森(直幸議員・当時)さんが引退するまで待ちなさい」と云う申し入れを断わり、筑紫野市議選に再出馬。皆様の温かい支援を受け初当選したのは33才。その後、この先どうなるともしれない僕を黙って育んで下さったさきがけが解党。民主党に合流。実態のなかった筑紫野市民主党を立ち上げ、国政への要件である市議(赤司泰一君)を擁立。 二人とも当選。そして、福岡五区衆議院候補選考、参議院候補選考と歩を進める。
組織や金を持たないわたくしがこのような歩みを進められたのも「浜武君を育てよう」と云う地元大勢の見えない親心の賜物だといつも、いつも感謝しておりました。
しかし、地元福岡5区には元銀行員の楠田大蔵君(楠田幹人元筑紫野市長実子・10才年下)が、参議院は元外資系会社員の大久保勉君が落下傘。さらに楠田父子の熱心な推薦により、「浜武君には良い話だから」と福岡7区(柳川、大牟田選挙区)に転出を準備。党要職者からも「早く市議を辞めて活動をするように」との達示がありました。
党の言われるままに事が決まりかけた夏、母が済生会に突然の入院。誰が母を引き取るかで家族会議に。しかし、鳥取と厚木の弟達では到底母の面 堂は無理。そのような最中、旧福岡1区内の古賀潤一郎氏が辞任、候補者公募。「これは福岡から動くなと言う天の声」と衆議院議員補選出馬を決意。しかし、党籍も、政治活動も、住まいもないアメリカ弁護士平田君がまたもや落下傘。そして、民主党が私に下した決断は除名処分でした。
様々な取り引きの提案がされました。県議の話もありました。しかし、利口ではありませんが、もうこれ以上計算をするのは止めようと思いました。29才の626票で落選したあの時の市議選のような国政選挙になりましたが心に一点の曇りもありませんでした。結果 は皆様ご存じのとおり、落選。国政選挙はそのあまりの規模の大きさのため、すべてを私から奪いました。
チラシを作るも印刷に出せず、郵便代も勿論ない。預金残高がなく携帯電話も止まってしまう。そのような日々が続きました。しかし、このような私に、

「もう一回市議から出直さんね。筑紫野にもどってきんしゃい」

筑紫野市最高幹部や福岡県議会関係者から「もう浜武君の居場所は筑紫野にはないよ。」「政治の世界で除名とは死刑宣告なんだよ」と云う進言のなか、いまだこんな私を温かく見守ってくださる方が筑紫野には居られる。感謝。
余命二年として生を受け、医療技術と保険制度のお蔭で41才。十分です。失うものはありません。また、一から出直します。再度、筑紫野市民の皆様に尽くす場をお与え下さい。 お願い致します。 合掌

平成19年3月19日

浜武しんいち

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