●2010/01/01 事業仕分け
ムラ社会に見る日本の強さ〜新しい産業構造の構築を目指して
私は昨年冬、大阪府西成に行った。 
  一泊800円の宿。
  50円の自動販売機。
  そして、三角公園に青いビニールテント。 
  早朝、日雇い労働者、仕事を求め、長蛇の列。 正規社員、ボーナス、雇用保険、健康保険、年金・・・・すべてから最も遠い位
  置にいる実在である。
  彼らは日本各地から故あって、ここに辿り着いている。 
では、故郷は彼らを切り捨てたのか。
水田がない北海道、産業がない九州、四国の中山間地からの出稼ぎ等、正規社員と云う枠から締め出され、現実的=等身大である非正規雇用が実在する西成に殺到したのである。
  正規雇用が彼らを切り捨てた、と云って過言ではない。 
  
  正規雇用は、正規雇用の職務に耐えられない、求めていない、高齢者、障害者、子育てする女性をも切り捨てている。 
  
では、昔はどうだったのか?
ムラの中には、必ず、一人一人に役割があった。
  弱い子でも、手癖が悪い人間すらも、各々の能力を尊重し、みんなみんな働いていた。
  文明開化はされてなく、生産性は低くても、みんなみんな役割を果たした。 
今はどうだろう?
 障害者だからといい、一律に仕事に差をつけているのではないだろうか? 
  
  主婦だからといって、単純作業の仕事の選択肢しか与えてないのではないか? 
  定年だからと云って、生き甲斐のある職務から遠ざけてはないだろうか? 
  一回社会で挫折したからと云って、正規社員の機会の芽を摘んでいないだろうか? 
かつて絹織物しか輸出品がない日本は、欧米列強の植民地政策に対抗するため、日本中が賢明に働いた。 
  
  遡り、江戸時代も寺小屋もそこそこに子どもすら労力として使われた。 
  もっと遡れば、口分田は6才から与えられたのだ。
  日本は元々資源がない国で、祖先は、賢明に生き抜いた歴史があるのである。 
長い歴史の中、日本は、今は繁栄しているが、同じような家電製品、自動車を作る隣国を見ると、すべての日本人が賢明に働く仕組みを作る時間が多くは残されてない事を感じてならない。
昨年は「事業仕分け」が流行ったが、する、しない、ではなく、国民の各層の自力に合わせて、仕事を「仕分け」し、日本国民すべて各層が仕事に打ち込めるようにする事が「政治」ではないか、と感じ、あいさつと致します。
  今年もよろしくお願いします。